ICA(International Camera A.G)とは Carl Zeissが設立した巨大合併カメラ企業

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ICA(International Camera A.G)とは Carl Zeissが設立した巨大合併カメラ企業

ICA(International Camera A.G)とは Carl Zeissが設立した巨大合併カメラ企業

1910年にCarl Zeissが中心となり、巨大合併カメラ企業ICAが誕生した。社長はグイドー・メンゲル。1912年には年間5万台ものカメラを生産している。ICAはドレスデンのカメラ製造企業トップ3のうち2社ヒュティッヒとヴュンシェ(合併に参加しなかったエルネマンもトップ3)、フランクフルトのクリューゲナーをツァイスが説得して隠していた子会社パルモス事業部を加えて実現したドイツ最大の巨大合併カメラ企業だ。

ヒュティッヒは1989年にジョージイーストマンが表敬訪問している。この時、業務提携の話を持ち掛けて拒否されたと思われる。そして、社長のカールティッヒは商法違反で逮捕されて、後継者としてグイド・メンゲルが就任した。社長逮捕によりヒュティッヒ社の株価は暴落し配当もなくなったが、なんとか立て直していった。

ヴュンシェは1902年に業績悪化を理由にエミール・ヴュンシェ社長が自殺している。ここまで悪い話が続くと、企業間の利権絡みの闇を感じざるを得ない。

当時のカメラ業界は今とは違いとても高価で大衆が娯楽で楽しめるようなものではなかった。

ヒュティッヒの新社長メンゲルが動いた。過当競争によるいいかげんな工業所有権の管理をはっきりさせ、特許侵害は訴訟し、カメラ業界に秩序を取り戻した。

ヴュンシェとクリューゲナーに、ヒュティッヒと合併しないか話した。合併すると価格競争がなくなり、広告費の節約、経理も1つにまとまり経費節約、特許をまとめて高性能カメラが作れるなど合併による共倒れリスク回避を説明した。

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バックにはCarl Zeissがついていた。ツァイスはカメラの製造はパルモス事業部の設立までしていなく、レンズの製造が中心でカメラの製造は彼ら企業に委託していた。その為、共倒れされるとツァイス自身も共倒れになる可能性があった。損失どころの騒ぎではない。

そして、ツァイスはパルモス事業部を現物出資として合併に参加すると表明した。そして、1910年にヒュティッヒ、ヴュンシェ、クリューゲナー、パルモスが合併した四社連合ICAが誕生した。社長はヒュティッヒのメンゲルである。

こうして、ドイツはエルネマンとICAの二大企業の対立となった。イカはドレスデンに工場を新築して活動拠点を増やした。このドレスデンに設立した新工場は後にCONTAXを製造することになる。

そう、Carl Zeissはカメラを自社で製造していないのだ。1846年に創業したCarl Zeissが自社でカメラを製造したのは2回でどちらも短期間。1回目はICA合併前のパルモス事業部1902年~1909年と、2回目は終戦直後1946年~1948年。この戦後は勝戦国である旧ソ連の支配下で賠償として製造したレパラツィオン(賠償)コンタックスである。

そして、この合併によりツァイスのパルモス事業部で勤務していたオスカーバルナックはZeissにいられなくなった。そのままICAの社長メンゲルに頼んでICAで勤務するか、Carl Zeissの他部門か。後にLeitzで伝説の名機バルナックライカを発明する。

 

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-Carl Zeiss Jena(東独), Germany, 備忘録