Ernst Leitz社創設の歴史 Leica誕生 ライカ成り立ちの歴史 超簡単年表
Ernst Leitz社創設の歴史 Leica誕生 ライカ成り立ちの歴史 超簡単年表。自分用備忘録メモ。
- 1849年、Land Hessen(ヘッセン州)Wetzlar(ウェッツラー)でCarl Kellner(カール・ケルナー)が顕微鏡メーカーOptisches Instiut(オプティシス・インステット)を創業。ケルナーはMoritz Hensoldt(モーリッツ・ヘンゾルト)と共同で望遠鏡製造工場を始めた。1850年、ケルナー式接眼鏡を発明しカール・フリードリヒ・ガウスから絶賛され多数受注された。優秀な望遠鏡として1980年代まで長焦点接眼レンズの定番として頻繁に使用された。
- 1855年、初代社長ケルナーは肺結核で死去。未亡人となった妻がそのまま事業を引き継いだが、従業員Friedlich Berthele(フリードリッヒ・ベルテレ)と再婚し、ベルテレが二代目社長になり、社名の後に「ケルナー&ベルテレ」が追加された。
- 1865年、スイスの時計メーカーで機械工の渡り修行をしていたエルンストライツ1世が入社。
- 1869年、二代目社長のベルテレが死去し、エルンストライツ1世が三代目社長に就任。
- 1905年、カメラ業界に参入。カメラボディはヒュティッヒ(後にCarl Zeiss傘下のICAに吸収合併される)に外注。
- 1911年、Carl Zeissの子会社パルモスがICAに吸収合併されてZeissに居場所がなくなったオスカーバルナックが転職して入社
- 1912年、オスカーバルナックが映画用カメラを試作。
- 1913年、Ur Leica(ネイティブ発音ではウアライカ)を2台試作。
- 1925年、試作機一号Leica Ⅰ型(A型)を生産、販売。
- 1930年、レンズ交換式Leica C型を発売。Elmar 50mm f3.5、Elmar 35mm f3.5、Elmar 90mm f4、Elmar 135mm f4.5、Hektor 50mm f2.5がラインナップ。
- 1932年連動距離計を搭載したLeica Ⅲ型を発売。
- 1931年にHektor 73mm f1.9、1931年にSummar 50mm f2を発売。これにより報道写真業界において卓越した画像を提供できるようになった。
- 1934年、人物撮影用としてTambar 90mm f2.2を発売。こうして写真撮影のライカ判(フルサイズ35mm判)全盛の基礎が確立されていった。
1974年にウィルドがLeitzの株式53%買収して経営権取得、1975年にウェッツラー工場で働いていた職人約6000人が解雇され工場も稼働停止した。人件費削減の為にポルトガルに工場は移転し、カメラの作りを簡素化して再設計。
ポルトガルで部品を製造し、ドイツのゾルムスに運びパーツを組み立ててドイツ製の刻印を押してライカのロゴの所有権を持つウィルドが「Leica」のロゴを付ける。それまでの会社名であった「Ernst Leitz Wetzlar」を名乗れなくなり、エルンストライツ家は経営から退いた。
そしてライカはプライドを捨てて日本のメーカーにカメラの製造技術やノウハウを学ぶため、各企業と話しをしてミノルタと業務提携することを決定した。「日本のトップカメラメーカーの技術水準や製造工程は当時のライカと同等かそれ以上だった」と、視察したライカの技術部門の重役は語っていた。
戦後ライカに追いつけ追い越せでZeissやLeitzのカメラやレンズを分解して模倣してきた日本のカメラメーカーは1960年代後半についにライカを追い抜いてしい、あろうことかライカを経営の危機にまで追い込んでしまったのだ。
ライカという名前は残ったがライカはこの時になくなった。そんな悲しい歴史のお話しでした。
第二次世界大戦前後の詳しい歴史についてはまた追記する。