Nikkor-H.C 50mm f2 L39 Review作例 5cm ニコンのライカLマウント銘玉神オールドレンズ
Nikkor-H.C 50mm f2 L39 Review作例 5cm ニコンのライカLマウント銘玉神オールドレンズ。本レンズはバルナックライカのコピーNiccaに搭載された標準レンズで、レンズ構成はSonnar型だがダブルガウス型のように淡いベールのフレアに包まれて、ハイライトが滲む独特の世界観を持つ描写で近年でも人気が高い。途中から距離計には連動しないが最短撮影距離は50cmとレンジファインダー機用のレンズにしてはかなり寄れることもポイントが高い。
Nikkor-H.C 50mm f2 L39はZeissのSonnarコピー
Nikkor-H.C 50mm f2 L39は前群の2群目のガラスを3枚張り合わせた3群6枚のSonnar型。ゾナーコピーでf1.5の時Zeissに怒られて、挙句Sonnarの生みの親ベルテレは節操のない盗っ人Nikonが大嫌いだったらしい。そりゃそうだ。まんまコピーしたらしいし泥棒だよね。当時の日本は今の中国みたいなものか。それでショット社からガラス売ってもらえなくなったのか?で、後日調査した結果を以下に報告する。
Nikkor-H.C 50mm f2 L39 製造年 ショットガラスと国産ガラス個体の違い見分け方
シリアルナンバーは617001からスタート。西暦の最初の3桁か4桁は捨て番。シリアルナンバー7桁は1940年製、8桁は1950年製、6桁は1960年代以降。
シリアルナンバー最初が609…、708…から始まるロットはイエナガラスか。806…スタートは一部ショットガラスで一部国産ガラスか。811…スタートは全部国産ガラスか。ここまでが沈胴。811は途中から固定鏡胴も製造している。5005…、5008…、617…は光学はそのままでリジット(固定鏡胴)へ変更。
いずれにせよ609と708はレンズのエレメント6枚中5枚はショット社のSonnarと同じガラスを使用しているが、1枚は違う。
シリアルナンバー5008から始まる個体(ロット)はショット社のガラスを使用しているとの情報があるが、直前の811のロットで全てのエレメントで国産ガラスを使用しているので、その後の5008がショットガラスを使用しているとは考えにくい。
しかし、また別の情報では1950年頃にニコンはどこからかショットガラスを入手してレンズの製造に使用していたと当時の技術者の証言が雑誌に掲載されたとの話もある。
50080666は8桁なので1950年代で1950年8月製造で666本目。6090003は7桁なので1940年代で最初の6で1946年9月製造で3本目。
Nikkor-H.C 50mm f2 L39に使用されていたショットガラス
- SK16 重クラウン
- BaF10 バリウムフリント
- FK1 珪クラウン
- SF8 重フリント
- K10 クラウン
- BaF10 バリウムフリント
Carl ZeissのSonnarは5枚目のガラスにBak4 バリウムクラウンを使用しているので、Nikkor-S.C 50mm f2 LTMはレンズエレメント6枚中5枚ショットガラスを使用しているが、残り1枚はショットガラスか国産ガラスか不明。ただ、やはりほぼゾナーコピーと言える。完全コピーしたら裁判で負けてる。まぁどのみち当時訴訟されていたらしいが。
Nikkor-H.C 50mm f2 L39のレンズ外観Review
重量は219g。
Nikkor-H.C 5cm F2 L39のレンズ構成図Review
NIKKOR-H・C 5cm F2は3群6枚構成の伝統的なゾナー型。
画像転用元:Nikon
前群2群目のレンズ2~4枚目の3枚を貼り合わせている。第2と第4レンズに屈折率の高いレンズを、第3レンズは屈折率の低いレンズを使用している。
この3枚接合のレンズは、レンズ面の反射防止コーティングのなかった時代に、空気との境界面を減らしてレンズの透過率を増やし、ゴースト発生を抑える素晴らしい発明だったが、コート技術の進歩によりレンズを接合する必要がなくなった為、後に第2レンズを廃止して空気に置き換えることにより4群5枚構成になった。
一般的にSonnar型50mm f2の写りの特徴は、F2と大口径でだが屈折率の低いガラスで構成した場合でも、広い画角に渡りコマ収差の補正が良好で、開放からコントラストの高い描写を実現している。その反面、強い非対称性の光学なので糸巻き歪曲収差の補正が困難で低い屈折率ガラスの組み合わせにより非点収差が残りボケの形状に影響がある。コマ収差も発生する。
このレンズは傷やクモリが発生しやすく、ハイライト部に滲みやフレアーが発生しやすい。ゾナー型の特徴の通り開放からコマフレアは少なくコントラストが高い描写である。距離計には連動しないが、50cm(1.5feet)まで繰り出せるヘリコイドが搭載されている。
村上氏が戦後すぐに設計したこのレンズ6本は、双眼鏡などと共に当時の日本光学の事業の柱だった。戦後1948年に小型カメラニコンI型が完成したが、カメラ生産が軌道に乗ったのは1951年ニコンS型発売以降。その間ニコンのカメラ事業を支えてきたのはこれら6本のニッコールレンズだった。その中心的存在だった5cm F2は、Nikonの戦後復興を支えたレンズである。
Nikkor-H.C 50mm f2 L39の歴史 戦後ニコン復興の切り札レンズ
1945年第二次世界大戦終結により日本光学工業(現株式会社ニコン)は、大戦中に携わった軍需産業から民需産業へと以降する。同年、双眼鏡やメガネレンズ、写真用レンズの生産が決定し、1945年にライカL39マウント用Nikkor 5cm F3.5を皮切りに、1946年5cm F2、1947年13.5cm F4、1948年8.5cm F2、1948年3.5cm F3.5、1949年5cm F1.5と次々にライカLマウント用交換レンズを市場へ供給した。
この6本のレンズは村上三郎が1人で設計した。4年間で6本のレンズを設計することは現在のコンピューター設計が可能な時代でも不可能に近い。当時は電子計算機は存在せず、機械式計算機もタイガー計算機に代表される手回し式計算機しかなかった。
なぜ4年間で6本ものレンズが開発できたのか。その理由は、戦前から研究を続けたデータの蓄積があったからである。6本のうち3本の標準レンズは戦前中に設計が完成していた。5cm F3.5と5cm F2は1935年頃にハンザキヤノン用として設計されていて、5cm F1.5は1942年に設計を終えていた。
5cm F1.5は写真用レンズとして販売されたかどうかは不明だが、レントゲン間接撮影用レンズとして販売されていたようだ。この6本のレンズ開発は、実際には10年以上の歳月をかけたものであった。
戦前、写真用レンズの設計は光学を研究する専門部署、芦田研究室が担当していて、村上氏は芦田研究室で写真レンズの設計をしていた。戦前当時の主力商品は、軍需品の測距儀や潜望鏡、双眼望遠鏡だ。研究室は製造部門を持っていなかった為、設計ができると製造部門に依頼する必要がある。これにより村上氏は製造部門から「まだ道楽をしているのか」と冷遇されたこともあった村上氏はそれでもめげずに戦時中も写真レンズの設計を続け、着々とレンズの設計が進んでいった。
戦争が終わり交換レンズの生産が決定した後、僅か4年間で3本のレンズの設計ができた要因は、村上氏が周囲の目を気にせず戦前から戦時中もひたすらレンズの研究開発を進めていったからである。
Nikkor 5cm F2の開発は戦後の光学設計部門の復興は設計データの収集と復元から始まった。大井工場は戦火を免れたが戦時中の混乱で多くのデータが散逸してした。東氏と村上氏が中心となり担当者のノートや資料の断片からデータを復元し、文書にまとめていった。この文書が脇本氏や波多野氏に引き継がれ設計報告書となった。
標準レンズ5cmの3本の設計は村上氏でが担当だった為、データは無事見つかりそのまま生産された。しかし、5cm F1.5だけはガラスの在庫が足りなくなり、ガラスの溶解が復旧してから生産開始することになった。こうして、まずは5cm F2レンズは無事生産が開始された。
しかし、ガラス溶解の復旧は困難を極めガラスの在庫が枯渇した為、1948年にガラスの溶解が本格的に復旧するまで、何度もガラスの一部の設計を変更して生産が繋ぎ止められた。
このピンチの間に村上氏は設計データを何度も見直し、ブラッシュアップした設計をまとめて5cm F2 H.Cとして完成させていった。
とニコンの公式HPには記載してあるが、結局イエナガラスを使ってほぼまんまゾナーコピーしてるので、上記の話しもどこまで本当か不明。あまりニコンを好きになれない情報を知ってしまった。今の中国よりひどいやん…。でも写りはよかったよ。(そりゃそうだ)
Nikkor-H.C 50mm f2 L39の作例Review
淡いフレアー発生。ゾナー型だがノンコートの為逆光には弱い。コントラストも低下して発色は淡く滲みもあり、エモい。昔は忌み嫌われた残存収差が愛おしくて仕方ない。
世界観ジブリかよ。
廃墟かよ、住んでるのかよ、エモいかよ。
和人形が狂おしくエモい。あなた魂宿ってますか?職人の魂が宿っていても不思議ではない。
黒電話が狂おしい程エモい。
動き出しそうだ。夜中動いてるよね?いいよ別に動いても。
ひな祭りか。様々な日本の伝統はしっかり守って未来に受け継いでいこうね。
被写体を引き寄せるレンズは確かにある。
このレンズの妖気か、この歴史記念館に妖気があるのか。
そのレンズの写りはどうなん?が本質。レンズは飾りじゃない、レンズはあくまで写真を撮る道具。状態云々より写り云々。
凄まじい描写。被写体の引き寄せ。時代背景を知ると応援したくなるよな、ドイツ製と国産レンズ。
国産ノンライツよき。ようやく私の心に染みてきました。
寄るぜ。
硬いボケが芸術的。メイヤーっぽい?そうね。ゾナーの先祖エルノスター型もベルテレ設計だからね。あり得るよ。
寄るとメイヤーっぽいよね。
ほら。
これはニコンっぽい。自分の感覚だけど。
Meyer Optik Gorlitz。じゃない、Nikkor HCです。
エグイっしょ?ボケがエルノスターっぽいよね。
絶対買い戻す。
クセ玉感と優秀さがクルクル入れ替わる多重人格オールドレンズ。
セミの抜け殻の眼が生きてる。こんにちは。
エイリアン。
手を繋いでるみたいで萌えキュン。
ガウスとゾナーの折衷。
よき。
逆光は虹ゴースト出るし、こんな感じで逆光の世界を表現することもできる。
しばしのお戯れ。
いつもの大地試写。落ち葉の下には微生物たちの生態系がある。
う~ん、やはりガウスのクセのあるボケには叶わないかな。素直というか。MeyerのOrestonのボケのクセはすごいから。
ゾナーやエルノスター感満載。
はい。地面に這いつくばり公園のマリーゴールドで遊ぶ大人は私ですが何か?
レンズと写真が面白いと思う瞬間は発見によるものが大きい。
オールドレンズ沼という海原で航海してるんだなきっと。きっと後悔するけど。航海だけに。じゃあどうすりゃいいんだい?…こうかい?
まとめ
ゾナー型ニッコールHC50mmF2はメイヤーの初代ガウス型のドミロンと後継オレストンと、変形エルノスター型プリモプランと古典的エルノスター型プラクチカ50/2.4のそれぞれを受け継いでいるように感じた。
ニコンはZeissのゾナーをコピーしてるつもりだと証言していて、戦後もツァイスのショット社からガラスを仕入れ続けたかったが、戦後の混乱で供給が途絶えてレンズの設計を何度も見直さなければならない困難を乗り越えて本レンズの設計が完成していた経緯を辿ると、レンズ製造が途絶える死線と企業存続の死線を乗り越えたレンズだ。
そう考えると、とても感慨深い。結局、俺は歴史というロマン沼に生きる人間なのかもしれない。人類の歴史というロマンが好きなんだ。男の子だもん、いいでしょ別に。
今回は以上。本日も素敵なオールドレンズライフをお過ごしください。