Meyer Optik GörlitzはCarl Zeiss傘下のPENTACONに吸収合併された歴史を持つ

meyer-optik-goerlitz-1942

Meyer-Optik GörlitzはCarl Zeiss傘下のPENTACONに吸収合併された歴史を持つ

Meyer Optik Gorlitz(ドイツ語:Goerlitz)は元Hugo Meyer & Co.で、ドイツのGorlitzに存在した光学会社。Meyer Optik Gorlitzは1896年に眼鏡技師のHugo Meyer(ヒューゴ・メイヤー:1863年5月21日-1905年3月1 日) と実業家のハインリッヒ・シェッツェによって設立された。Meyer Optik Gorlitzは広角の Aristostigmat lens(アリストスティグマットレンズ)の開発と光学研究所Schulze(シュルツ)とBillerbeck(ビラーベック)を買収して成功を収め、当時、Meyer Optik Gorlitz製のレンズはEuryplan Lens(ヨーロピアンレンズ)と呼ばれていた。Meyerの2つの時代について詳しくは無一居で詳しい記事がある。

メイヤーはプラナーやテッサーを開発したパウロルドルフと提携

1920年にMeyer Optik Gorlitzは、ProtarやPlanar、Tessarなどを開発した事で有名な元Zeissのレンズ設計師Paul Rudolph パウロ・ルドルフ と協力することを決定した。ルドルフ博士は当時世界で最も強力なレンズ「Plasmat」の特許へのアクセスをメイヤー社に許可した。1936年、メイヤー社は「Optische und Feinmechanische Werke Hugo Meyer & Co」に社名を変更し、年間約10万枚のレンズを生産した。第二次世界大戦中は民生用の生産が中止され、軍事用として主に望遠鏡用の光学部品が生産していた。

メイヤーオプティックゴルリッツ

Meyer Optik Gorlitzは第二次世界大戦後は軍用レンズを生産

第二次世界大戦の敗戦後、ドイツで生き残った光学メーカーは「光学精密機械局VVB」に編入され製産活動を始めた。Meyer-Optik Görlitzは「軍用機械工業VEB」に編入され、軍用光学製品の開発製造を行いながら民生用光学製品の開発も行っていた。しかし、経営難から自社工場をCarl Zeiss Jenaに売却し「光学精密機械VVB」に編入された。

メイヤーは1968年にペンタコンに吸収合併された

メイヤーは当時Carl Zeiss Jenaの直下に配属されていたPENTACONが発売するフィルムカメラのセットレンズ(シルバー鏡胴の1950年代)の供給を義務づけられた。Carl Zeiss Jenaはメイヤーに対し1964年からPENTACONへの編入を打診してきたがメイヤーは拒否。しかし経営難から1968年にメイヤーはペンタコンに吸収され長かった歴史の幕を閉じた。

Meyer Optik Gorlitz製のオールドレンズはシルバー鏡胴とゼブラ鏡胴のみ

1968年はMeyer-Optik Görlitz製レンズとPENTACON製レンズの境界。1968年を境に「Meyer-Optik Görlitz」が刻印された銘板のオールドレンズが市場から姿を消した。ゼブラ柄モデルを発売し始めた時期には既にMeyer-Optik Görlitzは工場の稼働権限も失っていた。そしてオールドレンズの流れが世界規模で黒色鏡胴へと変遷する最中にMeyer-Optik Görlitzは姿を消した。よって、Meyer-Optik Görlitz製のオールドレンズはシルバー鏡胴モデルとゼブラ柄だけで黒鏡胴は存在しない。黒鏡胴で「Meyer-Optik Görlitz」銘板の個体は実質PENTACON製である。

メイヤーオプティックゴルリッツ

参考文献:出品者のひとりごと… , 画像転用元:Meyer Optik Goerlitz公式HP

Meyer Optik Gorlitzの魂はCarl Zeissの中で今も生きている

Meyer-Optik Görlitz」という企業名はなくなったが、Meyerの魂はPENTACONの中で生きて、今もCarl Zeissの中で今も生きているという考え方もできる。私の想像だが、メイヤーは芸術性が高い美学を持っていて軍用レンズの生産に前向きではなかったのではないかと推測する。軍用レンズを生産していれば国から仕事をもらえるので仕事には困らないし企業の将来も安定するはずだ。国のレンズ製造コンビナート長でもある大企業カールツァイスへの吸収合併を拒否したことも同じく。高い芸術美学を持ったメイヤーは高い技術やレンズ設計者を保有していることも認められていた為、より高い生産性を求められ、結局カールツァイス傘下のペンタコンへ吸収合併された。ロシアがドイツの技術者と設備を自国へ持ち帰りコピー品を製造したように、ツァイスはメイヤーのレンズが欲しかったのでペンタコンに作らせた。メイヤーの銘玉Oreston50mmF1.8が丸ごとペンタコン50mmF1.8に引き継がれたように。企業は生き残りをかけてM&Aを繰り返す歴史はいつの時代も変わらない。かくいうメイヤーも初期の頃にM&Aで成功して発展した。戦後のドイツは人類史上最凶の1兆倍ものハイパーインフレに苦しみながらも企業も個人も皆生き残る為に必死だったのだ。歴史を学び当時を想像してレンズを選びそのレンズで撮影することはとても楽しい。今回は以上。本日も素敵なオールドレンズライフをお過ごしください。

 

X Twitter 始めました。よければフォローお願い致します。

-Germany, Hugo Meyer Optik Görlitz, PENTACON, 備忘録
-