戦前戦後Leitz Leicaライカの最高責任者Max Berek(マックス・ベレク)とは 略歴と設計したレンズ一覧年表
戦前戦後Leitz Leicaライカの最高責任者Max Berek(マックス・ベレク)とは 略歴と設計したレンズ一覧年表。ライカ=べレクという位べレクの力と影響力は凄まじかった。現に、べレクとべレク自身の設計事務所が当時のLeitzのレンズシリーズ全体の責任を持ち開発を行っていた。
Leitz Leica ライカ Max Berek(マックス・べレク)略歴
Max Berek(マックス・べレク、1886年8月16日~1949年10月15日)はドイツのLeitz(現Leica ライカ)で活躍したレンズ設計士でありライカの最終的最高責任者。べレクは南ポーランドのシロンスク県ラチブシュで生まれた。
ラチブシュはオーバーシュレージエン州の鉱山炭鉱の街カトヴィツェの近くだ。マックスべレクは幼少期から結晶の神秘に憧れを抱き地元の高校を卒業後はオーバーシュレージェン州の王立精錬所で実務に就いた。
その後ベルリン大学で炭鉱学を専攻した。1910年にはベルリンの鉱物学研究所でT.リービッシュの助手となり結晶工学で博士号を取得した。1912年3月、ウェッツラーにある光学機械会社Elnst Leitz(現Leica)社に就職し、当初は特殊な顕微鏡とその光学の開発に従事した。
鉱物学領域の画期的な研究の成果が評価され37歳で学位を取得した。べレクの研究分野は顕微鏡の理論と炭鉱学に用いられる偏向顕微鏡についてがほとんどを占めた。1920年代初頭オスカーバルナックがLeicaを開発した頃、べレクはCarl ZeissのTessarからヒントを得てレンズの設計を行った。
Tessarのレンズ構造と異なる5枚構成レンズのAnastigmat(アナスチグマート)であるElmax(エルマックス)50mm F3.5を1924年に設計した。1925年にはライカ用にElmar 50mm f3.5を設計、1930年 Elmar 35mm f3.5、1931年にHektor 5cm f2.5、1933年にSummar 50mm f2、1939年にSummitar 50mm f2、1946年にSummaron 35mm f3.5などのレンズを設計した。
彼が設計したレンズ一覧はこの後掲載している。べレクと彼自身の設計事務所がLeitzのレンズシリーズ全体の開発の責任を持っていた。ライカは小型カメラの開拓者となり今日でも世界基準であり続けている。
また、彼はマールブルク大学の教授として講師を務めて、応用光学の書籍1冊と80編の論文を発表している。べレクは生涯ライカ社で37年間勤め、1949年10月15日にフライブルク(ブランデンブルク)にて63歳で亡くなった。
参考文献:ユニオンペディア , アイキャッチ画像転用元:Barnac Berek Blog
Max Berek(マックス・べレク)が設計したレンズ一覧年表
- 1925年 Elmar 5cm f3.5 3群4枚 Tessar型 120514本
- 1930年 Elmar 35mm f3.5 3群4枚 Tessar型 46747本
- 1931年 Hektor 5cm f2.5 3群6枚 Hektor型 10600本
- 1931年 Hektor 73mm f1.9 3群6枚 Hektor型 7225本
- 1931年 Elmar 90mm f4 3群4枚 Tessar型 107480本
- 1931年 Elmar 135mm f4.5 3群4枚 Tessar型 7000本
- 1932年 Elmar 105mm f6.3 3群4枚 Tessar型 3975本
- 1933年 Summar 5cm f2 4群6枚 Double Gause型 127950本
- 1933年 Hektor 135mm f4.5 3群4枚 Hektor型 108088本
- 1935年 Hektor 28mm f6.3 3群5枚 Heliar型 11255本
- 1935年 Thambar 90mm f2.2 3群4枚 Hektor型 3500本
- 1939年 Summitar 50mm f2 4群7枚 Double Gause型 172390本
- 1943年 Summarex 85mm f1.5 5群7枚 Double Gause型 4342本
- 1946年 Summaron 35mm f3.5 4群6枚 Double Gause型 122021本
- 1949年 Summarit 50mm f1.5 5群7枚 Double Gause型 74643本
1つ疑問がある。ズマリットはシュナイダーのトロニエ博士が開発したXenon50/1.5を改良したものなのでべレクの遺作ではないはず。初期のズマリットは中身がクセノンだったようだが、改良されたズマリットはべレクが再設計したものだったのだろうか。
まとめ
上記の年表見てわかるように、最後にべレクが設計したのはズマリットであり、それ以降に開発販売されたレンズはべレクが設計したものではない。つまりライカはべレク以前とべレク以後に別れているとも言える。そして筆者が好きなライカのレンズは総じてべレクが設計したモデルだ。球面ズミルックスと貴婦人は別腹だが、やはりLeitz自身であったべレクには敬意を評してこれからもライカレンズを使っていきたい。