Carl Zeiss Jenaとaus jenaとZeiss OptonとDDRとZeiss Ikonの違い

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Carl Zeiss Jenaとaus jenaとZeiss OptonとDDRとZeiss Ikonの違い

Carl Zeiss Jenaとaus jenaとZeiss OptonとDDRとZeiss Ikonの違い

Carl Zeiss Jenaとaus jenaとZeiss OptonとDDRとZeiss Ikonの違いを簡単にわかりやすく解説する。まず、Zeiss Ikonは戦前のCarl Zeiss財団そのもので戦後の他4社名とは別物なので解説から一旦省く。

その他4つのZeissは戦後の東西分裂によるものでJenaとausとDDRはソビエト連邦の共産国側東ドイツのCarl Zeiss。Zeiss Optonはアメリカとイギリスの民主主義側西ドイツのCarl Zeissだ。

ドイツのJenaに本社があったCarl Zeiss社の商標を巡り、旧ソ連が支配した東側とアメリカとイギリスが支配した西側のZeiss同志でどちらがCarl Zeissを名乗るか争っていた。戦後ドイツを半分ずつ奪った戦勝国同士でCarl Zeiss表記の利権を獲得する為に商標権を裁判で争っていた為、東と西でZeissの区別を付ける為にjenaやDDR、aus、Optonと表記して区別していた。

戦争が終わった後もCarl Zeissが戦勝国同志の金儲け利権争いのゴタゴタに巻き込まれたということ。これも東西冷戦の一コマであると言える。最終的に西側ZeissがCarl Zeissを名乗り、東側ドイツがCarl Zeiss Jenaを名乗る事になった。

係争中→係争後

  • 西側 Zeiss Opton→Carl Zeiss
  • 東側 aus JENA→Carl Zeiss Jena

係争中はレンズ名の表記も制限された。

  • T=Tessar
  • B=Biotar
  • F=Flektogon
  • Bm=Biometar

第二次世界大戦後ドイツとCarl Zeissの東西分裂

Carl Zeissは第二次世界大戦後、東西に分裂した。1945年第二次世界大戦後にドイツは連合国軍による分割統治が行われた。東西分裂と共に西側のドイツはドイツ連邦共和国としてアメリカとイギリスとフランスが占領し、東側のドイツはドイツ民主共和国として旧ソ連が占領した。

Carl Zeissもドイツの東西分裂と共に西側はアメリカとイギリスとフランスが戦利品として没収し、同じく東側は共産国ロシアが戦利品として没収した。この時点でドイツの企業であったCarl Zeissは実質存在しなくなった。

CarlZeissの技術者や技術も東と西で分けた。「Carl Zeiss」の商標権を裁判で争っていた為、東西どちらも「Carl Zeiss」を名乗れなかった。東と西を区別する為に東側はCarl Zeiss Jena、西側はZeiss Optonを名乗った。

東側のイエナは一眼レフ向けの高性能レンズの開発と製造で売り上げを伸ばした。当時の西ドイツや日本のレンズメーカーはレンジファインダーカメラ機をメインに事業展開していた為、イエナ製レンズは世界中で人気だった。

また、普及価格帯のレンズはMeyer Optik(メイヤーオプティック)が担当し、東ドイツ内で棲み分けができていた。

西ドイツのZeiss Optonより東ドイツのJenaの方がレンズの質が高かった理由

レンズ構成など中身は一緒でも使用する硝材が違う。例えばFlektogon(フレクトゴン)は東ドイツ製で、同じ光学設計の西ドイツ製はDistgon(ディスタゴン)と呼ばれる。東ドイツは共産主義国家なので民間企業は存在しなく全て国営で行っている。

軍用で使われるカメラやレンズも民間に出回るので自ずとクオリティの高い軍事品が安価で民間人も入手可能。だからロシア製レンズは安価で性能がいい。これはJena製にも言えること。

その一方西ドイツは戦後、アメリカやイギリス、フランスに占領され多額の賠償金を課せられ、レンズの材料や硝材の調達に苦しんだ為、当初は思うようなレンズを製造できなかった。

VEBとVVBとCarl Zeiss Jena

敗戦後、「人民所有経営(Volkseigene Betriebe:VB)」は「人民所有企業(Volkseigener Betrieb:VEB)」に変更された。旧東ドイツは敗戦後、国の共産主義体制確立と同時に様々な産業工業再建の為に計画して経済の策定を行った。

敗戦後、様々な企業が分野ごとにVEBの集合体として国に接収された。カメラやレンズは「光学精密機械VVB(民所有企業連合:Vereinigung volkseigener Betriebe)が製造していた。

当初は国営により分野ごとに各局の直下で各VEBがバラバラに集められ連合化していたが、共産主義体制により経済格差が起こっていた。戦後から1966年までの間は個別の企業(VEB)名が存在しなかった。

1967年に国の産業工業体系局から独立した「光学機械製造コンビナート(VVB)」が設立され、そのコンビナート長として「Carl Zeiss Jena」が誕生した。ここで戦後始めてCal Zeiss Jenaが企業として独立したと言える。

この時点ですでに「Carl Zeiss Jena」は17もの光学メーカーである企業(VEB)を吸収合併していて従業員数は44,000人に上っていた。翌年の1968年には州や県を跨いで統括指揮できる「コンビナート令」が公布され、光学機械製造コンビナート(VVB)ではCarl Zeiss Jenaの権力は巨大化し、名実共に確立していた。

また、当時「VEB PENTACON(人民公社)」はCarl Zeiss Jena配下のVEB(国営)のままで、レンズの開発や製造に苦戦していた。

参考文献:出品者のひとりごと… , アイキャッチ画像転用元:デジカメwatch , nac

では、戦前のZeiss Ikonの話に戻る。

Zeiss Ikonとは

Zeiss IkonはCarl Zeiss財団傘下として1926年に創設されたカメラメーカーであり、2005年コシナとカール・ツァイスが提携して発売したレンジファインダーカメラのブランドでもある。
である。

戦前Zeiss Ikonの歴史と主なできごと年表

  • 1920年3月28日イカとコンテッサ・ネッテルが利益共同体を設立。
  • 1925年9月29日利益共同体にゲルツとカール・ツァイスが参加。
  • 1925年12月10日利益共同体にエルネマンが参加。
  • 1926年5月8日利益共同体が成立したが各メーカー間の競合はなくならず合理化も進まなかった為、カール・ツァイス財団が有力カメラメーカーのイカ、エルネマン、ゲルツ、コンテッサ・ネッテルに呼び掛けてこの4社が合併契約に調印した。
  • 1926年8月25日新会社の設立契約が締結。新会社名はツァイス・イコン。ツァイス名を使った理由は新たな宣伝費を減らしたかった為で、イコンは特に理由はなく単なる思い付き。
  • 1926年10月1日新会社の設立契約を発行。資本金は1250万マルクで本社はエルネマンの本社社屋をそのまま使用し、社長はイカの社長だったエマヌエル・ゴルトベルクが就任。当初は統合前の製品にツァイス・イコン銘を刻印し製造していた。新社長エマヌエル・ゴルトベルクはカール・ツァイスからハインツ・キュッペンベンダーを自身の側近として招集し、35mmカメラ設計プロジェクトを推進させた。
  • 1927年1月27日カール・ツァイスグループ内での競合を避ける為にレンズと双眼鏡と眼鏡はカール・ツァイスに移管し、ショットとゲルツが手がけていた照明器具はツァイス・イコンに一本化するなど製造品目の契約がなされた。
  • 1928年ヴェッツラーのヘンゾルトを合併し1500万マルクに増資。
  • 1928年2月ゲルツの子会社でフィルムメーカーだったゲルツ・フォトヘミンシェ・ヴェルケを吸収合併。
  • 1929年最初のオリジナル製品ミロフレックスと最初のオリジナル設計製品イコンタを発売。
  • 1931年アルフレッド・ゴーティル(プロンター)を合併。
  • 1932年ハインツ・キュッペンベンダーを責任者としてコンタックスを発売。
  • 1934年イコフレックス発売。

戦後Carl Zeissの歴史と主なできごと年表

  • 1945年:ドイツ無条件降伏Carl Zeiss東西分裂
  • 1946年:オーバーコッヘンで西側Zeissが生産開始。ソ連は東ドイツにVEB Carl Zeissを設立。
  • 1948年:東側Zeissでドイツとソ連の技術者がレンジファインダー機Contaxのテスト生産を開始。
  • 1949年:Contaxの製造設備をソ連のKiev(キエフ)に移設。キエフでContaxのコピー機Kievの生産を開始。
  • 1951年:東ドイツのCar Zeiss Jenaがレトロフォーカス型広角レンズFlektogon 35mm f2.8を発売。
  • 1961年:同じくJenaが超広角レンズFlektogon 25mm f4を発売して大ヒット商品となる。
  • 1985年:VEBペンタコンドレスデンがVEBカールツァイスの傘下となる。
  • 1990年:ベルリンの壁崩壊で東西に分裂していたドイツが統合。
  • 1991年:東西に分裂していたZeissも統合し、東側Zeissは後に解体される。

まとめ

このように、Carl Zeiss jenaは戦後の東西冷戦に巻き込まれて生まれた共産主義国家ロシアが運営していた国営企業である。ロシア製のレンズが安価で写りがいい理由もこれでわかっただろう。ある意味当時のロシア製は東ドイツ製、東ドイツ製はロシア製とも言える。

Carl Zeissを戦前まで遡るとZeiss Ikon、Zeissなど他にも色々とあり他社と吸収合併を繰り返して生き残ってきた歴史があるのでとても複雑だ。一般的に認知されているCarl Zeissは戦前から数えきれない程の吸収合併を繰り返して生き残ってきた巨大組織なのだ。

元々のZeissの思想や魂は現存しているのか不明である。後々Carl Zeissに吸収合併されたメーカーがその時代に貫いていた思想が反映されたオールドレンズにロマンを感じてならない。それもまた1つのカール・ツァイスの楽しみ方かもしれない。

今回は以上。本日も素敵なオールドレンズライフをお過ごしください。

 

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